今回は、スロアーディスクをもう一度試作してみようと思ったきっかけについてお話しさせていただきます。
最初の試作から時は流れて21年後、その頃の私は試作のことは半分諦めていました。
このブログを書いている丁度一年前の令和4年4月に、私は二つの大きな病気を同時に患いました。
病名は、帯状疱疹と肺繊維症です。
帯状疱疹は子供の頃の罹った水ぼうそうのウイルスが免疫力が落ちた時にまた出てくる病気です。
上半身の片側に赤い発疹が出て、治療が遅れると神経がダメージを受ける恐い病気です。
私の場合、まず熱が出ました。
新型コロナが流行っていた時期だったので、コロナの検査を受けたら陰性でした。
医師からマイコプラズマウイルスに感染したのではと言われて、薬をもらって飲みましたが良くなりませんでした。
数日後に耳の聞こえが悪くなったので近くの耳鼻科で診てもらったら、
「耳たぶの中に発疹が出来ている! 帯状疱疹かもしれない!」
その時やっと帯状疱疹を疑って、別の病院の皮膚科で診てもらいました。
やはり帯状疱疹でした。
帯状疱疹は発症から48時間以内に薬を飲まなければ効かないそうですが、とっくに過ぎていました。
でも一応薬をもらって帰りました。
その数日後、今度は息苦しくなったので、近くの呼吸器内科で診てもらいました。
肺のレントゲンを診てもらったら、「肺結核が治った様な痕がある!」
「えっ!結核ですか?」
一瞬目の前が暗くなりました。
専門病院を紹介してもらいましたが、すぐには入院できないとのことで、
一旦自宅に帰りました。
しかしその日の夜、今度は食べ物、飲み物が一切飲み込めなくなりました。
大変だと思い、仕方なく救急車を呼んで大きな病院に運んでもらいました。
精密検査で結核ではないと分かったのですが、帯状疱疹からくる飲み込み障害の治療を優先した方がいいということになり、
数日後に転院しました。
運悪く、帯状疱疹ができた場所が見えずらい所だったので、治療が遅れて合併症がいくつか出てしまいました。
・飲み込み障害
・左耳の難聴
・顔左半分の痺れ
・声のカスレ
人によっては目が見えなくなる場合もあるそうですが、不幸中の幸いで、目は大丈でした。
でも飲み込みができなくなったので、鼻から管を入れて流動食を胃に入れながら、治療を続けました。
帯状疱疹の治療が一段落してから、同病院で肺の検査もしてもらいました。
肺の病名は肺繊維症で、別名:間質性肺炎でした。
この病気は現在治療法が無く、経過観察することになりました。
ネットで調べると、急に症状が悪化することもあり、いずれにしても長生きできないと知ったのです。
「いつどうなるか分からないのであれば、やり残したことをやってから人生を終えたい」
そう心の中で呟きました。
やり残したことがこのスロアーディスクでした。
試作の再開を決心しました。
飲み込みのリハビリでは、担当のY先生に「重い病気の治療中のわりには明るいですね」
と仰っていただきました。
その時の私は、退院後の試作再開に向けてどうすれば上手くいくかを考えていたので、
それが心の支えになって、辛い治療やリハビリに耐えることができたと思います。
入院から1ヶ月半後に退院しました。
でもまだ飲み込みが完全に回復してなく、鼻からのチューブを付けたままの退院でした。
退院後約1ヶ月にほぼ飲み込みが回復して、チューブが外れて普通の食事ができるようになりました。
その後の2ヶ月で元の体重と体力に戻り、全ての合併症がほぼ治りました。
次回”点と点をつなげる”に続く